ストップ高になった株は、連日ストップ高が続いて、数日で何倍もの株価になるということもあるが、そんなのはまれである。簡単に飛びついてはいけない。でないとすぐに大きな損失を抱えることになる。
2018年6月のブログ記事
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損失を気にしすぎることは、きっとさらなる損失を生み出すことになる。 正しく認識することは必要だが、気にしすぎることは良くない。 難しいことではあるが。
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現実を見ないようにするわけではなく、現実を把握しつつ、敗北感をあまり感じないように意識したい。 敗北感は、人生を不幸にしていくものだと思う。 しっかりと事実を見ようとすればするほど、敗北感は強まる傾向があるかもしれないが、そのうえで、敗北感を味わうようなことは避けたい。
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例えば、呼吸をしているが、それは、呼吸をすることによって、呼吸をしないよりも自分が幸福でいられるからだと思われる。 睡眠をとるのも、睡眠しない折も自分が幸福になるからであろう。 何か食べるのも、食べないよりは幸福になるからだろう。 ボケっとしている時間も、それがなにがしかの形で私たちの幸福につなが... 続きをみる
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長年疑問に思っていたことが、ふとした時に解決することがあるが、それはとても面白いことである。 いろいろなことに疑問を持ち続ければ、そういう機会も増えてくるのだろう。
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将来の幸福につながると考えることができれば、現在を犠牲にしていると考えなくて済むようになればいいのだが、なかなかそううまくいかないものである。
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現在の幸福も重視すべきである。 現在の幸福がのちの大きな幸福につながることも多い。 現在を犠牲にして未来への投資をするというのも多少は必要だが、本末転倒になってはならない。 私はそれをうまく実践できていないため、理論的にはわかっているが、実践は難しいものなのだろう。
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料理にかけている時間が幸福ならば、それは思う存分使うべきだし、おいしいものを食べている時間が幸福ならば思う存分それに時間をかけるようにしたほうがよい。株式投資なんかよりも、そちらのほうが大事。
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題名の通りであるが、だんだんテキトーになってきている。
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大きな含み損も、結局利益になることもある。 人生においても、まったく無駄な時間を過ごしてしまったと思うような時間も、それをしっかりと反省に使えば、有益な時間になる。むしろ、無駄だったと思っていた時間に考えていたことが、実は後々有益なことにつながっていくこともあるのである。
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今は全体的に株価が高い時なのではないかと思う。(何とも言えないものでもあるが) 株は安いときに買って、高いときに売るべきものである。 個別で見れば、安い株もあるだろうから、そういうのを探すとよい。
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永遠に値上がりしない株もある。 そういう株を買った経験は、ほかの場面で、そういうことがこれから無いように気を付けるという面で役に立つかもしれない。 それは、ある時には学んだが、それ以降は死ぬまで一度も使われることのない知識に似ている。
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株式投資でも、値動きがほとんどない期間というのはあるが、ある時いきなり、株価が上がることがある。 それは、予期せぬものであるから、値動きがない期間持っていたことにも意味があるのである。
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ポプテピピックというアニメがあったが、あれを見ている時間は、自分の人生にとってどのような意味があった時間なのか。全く意味のない時間だったのかもしれない。 しかし、そもそも、人生というのは何か目的があって過ごしている時間のほうが少ないのではないか? いや、いつも何か目的をもって過ごしている、と主張す... 続きをみる
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何か行動をし続けることが、大切だろう。
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そのような問題を見つけることは難しい。 とりあえず、何かきっかけができるとよいが、そのためにはいろいろなことに興味を持つ用心がけることしかできないのではないか。
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他人とともに問題解決をしようとするほうが、問題解決能力は向上する。それが遊びと結びついていればなおさらよい。
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難しく、面白い問題に取り組むことは重要なことである。そういうところでこそ次々に疑問が生まれ、その疑問の中に問題が生まれ、それを考えることで問題が解決し、新しい知識が得られていく。
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自分の頭の中に知識を蓄えていくことが最も重要なことである。
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私は夢を見る。 全くごちゃごちゃな夢を見ることもある。 今夢を見ていると認識しながらの夢もある。
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部屋の中にいるときはあまり感じられない。 美しい絵画を見ているときに感じられることがある。 まぶしすぎる光の中ではあまり感じられない。 夕方ぐらいの明るさの中で感じられることが多い。 視界の中で明るさが徐々に変化していくような部分を見ているときに感じることもある。
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最初に持った感想は、まるで映画を見ているような視覚である。ということだった。 他には、全くわからないたとえになるかもしれないが、絵画があり、その絵画には複数の人物がいて、なぜかその人物だけが絵画の中で動いており、私はその複数の複雑な動きをしっかり認識しているような感じである。 しかも、色がビビッド... 続きをみる
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私は、行動の方針として、ある感覚をできるだけ感じられるようにしたいということがある。 普段はあまり感じないのだが、ある時その感覚を感じていることを認識する。 ある時感じているその感覚が好きなのである。 その感覚は視覚的なものである。今日はそれを感じられた。
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自分が面白いと思うことに集中することによって、その人のパフォーマンスは最大限に発揮されることになると思う。それは自分の幸福につながっていくだろう。ただし、他人の幸福を妨げるようなものであってはならない。 そういうものを見つけることは難しいことだろう。
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他人の脳に複雑な秩序をうまく作り上げることは、生産的な活動、すなわち、他人を幸福にする活動である。
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質量保存の法則などは、何かが変わる前と何かが変わった後で、それでも変わらないようなものがあるということを主張しているが、そもそも、今までずっと成り立ってきたような法則が、数秒後も同じく成り立っている、と言えるのか? つまり、今まで成り立ってきた法則はこの先も成り立っている、という法則は成り立ってい... 続きをみる
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