脳の存在に依存して知性が存在していると言って良いと思われる。 (わたしよりも優れた知性を持つ人間から、脳の働きを取り去ってしまった場合、その人がわたしよりも優れた知性を持っていると、わたしは思うことができなくなることは容易に想像がつく。) だから、知性は脳に依存していると言える。 脳は神経細胞であ... 続きをみる
kspz9568cの投資ブログの新着ブログ記事
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今までの内容はすべて私の考えたことであり、複雑な秩序というのも、私がなんとなく頭の中でイメージした概念でしかない。結局そういった頭の中のイメージがすべてである。 結局、すべてはいま私が感覚しているものであり、複雑さも何もないのである。
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マウスの報酬系に電極をさして、報酬系を刺激するスイッチを用意すると、マウスは何があろうとそのスイッチを押し続けようとするらしい。 どんなに空腹になろうと、死ぬまで続けるらしい。
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銀行に預けても、ほとんど増えない。 これから使う予定のあるお金ならば、銀行に預けていたほうが流動性があってよい。 そうでないお金なら、株にしたほうが、長期的に見れば利益は大きくなるはずである。
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人間は、幸福の追求に時間を使うべきだ。 しかし、それは知らず知らずのうちに無意識にできているものである。 わざわざ爪楊枝で自分の体に穴をあけていきその痛みによる苦痛を追求するような人はいないのだから、そういうことと比べて相対的に幸福であろうとしているものである。 幸福の追求に時間を使うこと、それこ... 続きをみる
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最初に買ったのは、全くでたらめに買ったものだった。なぜか値上がりしたのでそこで売ってしまってよかった。 今は売値の2分の一以下になっている。
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全てはもしかしたら10の並びと同等かもしれないからである。 我々は色々なものが、時間によって連続的に変化していると考えるのが普通だが、実際は、飛び飛びに、デジタルに変化しているかもしれないのだ。 コンピュータというものは、ステップで変化し、前の状態(01の並び)が決定していれば次の状態も完全に決定... 続きをみる
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世界は物理法則に従って動いている。 全ての物質はある一種類の物質が複雑に並んだりしてできているというような考え方がある。物質一元論と言っていたような気がする。今の物理学でそんなことは否定されているというようなことを言っても反論にはならないだろう。今の物理が全て全く否定される可能性はあるし、完璧に間... 続きをみる
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人間もコンピュータがやっていることとそれほど変わりないのではないか。
脳がやっているのは、結局は神経細胞がパチパチついたり消えたりを複雑に繰り返しているだけなのだ。それは、コンピュータが複雑に01を処理しているのに似ている。
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もっと細かくコンピュータを見て見ると、コンピュータが扱っているのは10の羅列であると考えて間違いでない。色々な形のデータは、結局そういう文字列の処理をしていることとほぼ同等なのである。
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コンピュータができるのは、誰がが与えたものについて、決められた結果を出すということだけである。決められた以上のことをするということは断じてない。 しかし、コンピュータが暴走して人類を滅ぼそうとするということは十分にあり売る。それは、コンピュータではない誰かがそのような結果になるプログラムを作ってし... 続きをみる
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今のところ最もすごいのは、コンピュータであると思う。 コンピュータがあってこその様々な技術といっても過言ではない部分が多いと思われる。
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地球の裏側の人に文字列の情報を与えて、それに対する答えを得ようとした時、今ならパソコンがネットに繋がっていれば、メールで送って瞬時にやり取りができる。 しかし、そんなものがなければ、紙に書いてその紙をなんとかして運ぶしかないのである。
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なぜなら、映像が視覚という感覚の一部分しかコントロールできていないのに対して、音声発生装置は、人間の聴覚のほぼ全てをコントロールしてしまうようなことができてしまうからである。
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画面や、そこに流れる映像というのは、人間の視覚をものすごい程度までコントロールしているという点ですごいのである。 それが当たり前のように生活に入り込んでいるところまで来ているというのがさらにすごい。 今はまだ平面が多いし、視界の小さな部分しかコントロールできていないが、いつかは、視界の全てをコント... 続きをみる
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例えば、最近のスマートフォンなんて、とてもすごいものである。 複雑な処理を行うコンピュータや、それによる色々な結果を表示する画面、音声発生装置、周りから情報を収集するタッチパネル、カメラ、遠くから情報を受け取る電波受信装置、遠くに情報を発信する電波発生装置など。勝手に名前を考えたりしたため、正確な... 続きをみる
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何かの拍子に値上がりし、かつ出来高が異様に増え、これからもその出来高が長続きしそうだと考えられるような株は、長期的に見て、大きく値上がりするのではないかと思う。 そこに、しっかりとした理由があるなら、なおさらである。 そのようなことは大体年に1度あるように思われる。
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長期間持っているようにしたい。 誰かの思惑にはめられるのを防ぐためである。 思惑というのは、短期の値動きに大きな影響を与えるものだと思っている。 長期で持っていれば、その思惑の影響による損失は大きくならないのではないかと思う。
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加工された肉でなく、生肉を買って、それをなんとか調理したものの方が良いと思う。 加工肉の中には何が入っているかわからない。 また、できれば国産が良い。 外国産より格段にうまい。少しぐらい高くても、その方が良い。 牛肉は高すぎる気がするが、、、
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フライドポテトは安いし、うまい。 ポテトチップスもうまい。 菓子パンもうまい。 しかし、そういうものを常日ごろ食べているような生活はやめた方が良いと思う。 肉を食うべきなのだ。肉を。 きっとポテチを食うよりも、肉を食った方が、幸福度はあがる。
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人間にしかないものとして、狂気があると思う。 一見して無秩序であるように見えるが、秩序あるもの、が狂気なのではないかと思う。
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実践することからやってみるとよい。 実践しないとわからないことというのは多い。株を始めたからいろいろな経験に積極的になれる人もいると思う。
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日経平均を見たり、ある業種の株を比較してみたり、そういうところから自分の経験が出来上がっていく。
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いろいろと細かいところまで見ると面白いことがわかったりして、将来の株価を占うことも多少できたりする。
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自分の経験と、そこから出てくる判断しか信用することはできない。
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株の世界でも、様々な情報が流れてくる中で、自分が参考になると思うものを発見しなければならない。 いろいろな情報が流れてくるが、誰かにとって都合がよいものかもしれないが、それを信じた人は都合が悪くなるということもある。 信頼できる情報だったとしても、予想外のことが起こることもありうるのだ。
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緑茶を飲んでいる人は寿命が長いとか、発酵食品を食べている人はがんになりにくいとか、今適当なことを書いたが、それぞれ、それらを売る人たちにとってに都合のいいような結果を言っているだけかもしれない。 緑茶をよく飲んでいる人の寿命は長いかもしれないが、飲んでいない人より、多くの苦痛を感じながら生きている... 続きをみる
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将来上がると思われるような株でも、値下がり中に簡単に買ってしまうと、そこよりさらにな下がりして、たいへんな損失を被ることもある。 下がっているなというときはできるだけ待ってみて、しばらくして値動きが落ち着いて横ばいになったなというところ、もしくは飯尾敦はじめたな、というところが買いになると思う。 ... 続きをみる
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ストップ高になった株は、連日ストップ高が続いて、数日で何倍もの株価になるということもあるが、そんなのはまれである。簡単に飛びついてはいけない。でないとすぐに大きな損失を抱えることになる。
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損失を気にしすぎることは、きっとさらなる損失を生み出すことになる。 正しく認識することは必要だが、気にしすぎることは良くない。 難しいことではあるが。
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現実を見ないようにするわけではなく、現実を把握しつつ、敗北感をあまり感じないように意識したい。 敗北感は、人生を不幸にしていくものだと思う。 しっかりと事実を見ようとすればするほど、敗北感は強まる傾向があるかもしれないが、そのうえで、敗北感を味わうようなことは避けたい。
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例えば、呼吸をしているが、それは、呼吸をすることによって、呼吸をしないよりも自分が幸福でいられるからだと思われる。 睡眠をとるのも、睡眠しない折も自分が幸福になるからであろう。 何か食べるのも、食べないよりは幸福になるからだろう。 ボケっとしている時間も、それがなにがしかの形で私たちの幸福につなが... 続きをみる
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長年疑問に思っていたことが、ふとした時に解決することがあるが、それはとても面白いことである。 いろいろなことに疑問を持ち続ければ、そういう機会も増えてくるのだろう。
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将来の幸福につながると考えることができれば、現在を犠牲にしていると考えなくて済むようになればいいのだが、なかなかそううまくいかないものである。
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現在の幸福も重視すべきである。 現在の幸福がのちの大きな幸福につながることも多い。 現在を犠牲にして未来への投資をするというのも多少は必要だが、本末転倒になってはならない。 私はそれをうまく実践できていないため、理論的にはわかっているが、実践は難しいものなのだろう。
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料理にかけている時間が幸福ならば、それは思う存分使うべきだし、おいしいものを食べている時間が幸福ならば思う存分それに時間をかけるようにしたほうがよい。株式投資なんかよりも、そちらのほうが大事。
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題名の通りであるが、だんだんテキトーになってきている。
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大きな含み損も、結局利益になることもある。 人生においても、まったく無駄な時間を過ごしてしまったと思うような時間も、それをしっかりと反省に使えば、有益な時間になる。むしろ、無駄だったと思っていた時間に考えていたことが、実は後々有益なことにつながっていくこともあるのである。
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今は全体的に株価が高い時なのではないかと思う。(何とも言えないものでもあるが) 株は安いときに買って、高いときに売るべきものである。 個別で見れば、安い株もあるだろうから、そういうのを探すとよい。
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永遠に値上がりしない株もある。 そういう株を買った経験は、ほかの場面で、そういうことがこれから無いように気を付けるという面で役に立つかもしれない。 それは、ある時には学んだが、それ以降は死ぬまで一度も使われることのない知識に似ている。
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株式投資でも、値動きがほとんどない期間というのはあるが、ある時いきなり、株価が上がることがある。 それは、予期せぬものであるから、値動きがない期間持っていたことにも意味があるのである。
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ポプテピピックというアニメがあったが、あれを見ている時間は、自分の人生にとってどのような意味があった時間なのか。全く意味のない時間だったのかもしれない。 しかし、そもそも、人生というのは何か目的があって過ごしている時間のほうが少ないのではないか? いや、いつも何か目的をもって過ごしている、と主張す... 続きをみる
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何か行動をし続けることが、大切だろう。
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そのような問題を見つけることは難しい。 とりあえず、何かきっかけができるとよいが、そのためにはいろいろなことに興味を持つ用心がけることしかできないのではないか。
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他人とともに問題解決をしようとするほうが、問題解決能力は向上する。それが遊びと結びついていればなおさらよい。
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難しく、面白い問題に取り組むことは重要なことである。そういうところでこそ次々に疑問が生まれ、その疑問の中に問題が生まれ、それを考えることで問題が解決し、新しい知識が得られていく。
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自分の頭の中に知識を蓄えていくことが最も重要なことである。
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私は夢を見る。 全くごちゃごちゃな夢を見ることもある。 今夢を見ていると認識しながらの夢もある。
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部屋の中にいるときはあまり感じられない。 美しい絵画を見ているときに感じられることがある。 まぶしすぎる光の中ではあまり感じられない。 夕方ぐらいの明るさの中で感じられることが多い。 視界の中で明るさが徐々に変化していくような部分を見ているときに感じることもある。
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最初に持った感想は、まるで映画を見ているような視覚である。ということだった。 他には、全くわからないたとえになるかもしれないが、絵画があり、その絵画には複数の人物がいて、なぜかその人物だけが絵画の中で動いており、私はその複数の複雑な動きをしっかり認識しているような感じである。 しかも、色がビビッド... 続きをみる
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私は、行動の方針として、ある感覚をできるだけ感じられるようにしたいということがある。 普段はあまり感じないのだが、ある時その感覚を感じていることを認識する。 ある時感じているその感覚が好きなのである。 その感覚は視覚的なものである。今日はそれを感じられた。
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自分が面白いと思うことに集中することによって、その人のパフォーマンスは最大限に発揮されることになると思う。それは自分の幸福につながっていくだろう。ただし、他人の幸福を妨げるようなものであってはならない。 そういうものを見つけることは難しいことだろう。
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他人の脳に複雑な秩序をうまく作り上げることは、生産的な活動、すなわち、他人を幸福にする活動である。
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質量保存の法則などは、何かが変わる前と何かが変わった後で、それでも変わらないようなものがあるということを主張しているが、そもそも、今までずっと成り立ってきたような法則が、数秒後も同じく成り立っている、と言えるのか? つまり、今まで成り立ってきた法則はこの先も成り立っている、という法則は成り立ってい... 続きをみる
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複雑すぎる秩序として、この世界の物理法則というのもあるだろう。 我々物体は、その物理法則に従って動いているわけであるし、我々の脳内にある言語のなどの秩序なども、もとはといえば、物理法則によって作られたものである。
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言語は複雑すぎる秩序である。 試しに、自分の母国語以外の言語を思い浮かべてみてほしい。 あれほど秩序のあるものはないだろうし、その秩序を覚えるのは相当な知力、時間が必要になるだろう。 そういうものは、その秩序を知ることが良いことだとわかっていたとしても、なかなかそれを知るための行動に移せないものだ... 続きをみる
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秩序には価値がある。 秩序を作り出すことが多くの人の幸福につながることが多々ある。 部屋を掃除してきれいになることで幸せな気分になることがあると思うが、それは秩序を作っているからではなかろうか。
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人間に特有なのは、やはり発達した知性、意識の働きの強さであると思われる。 自分のそれらを発展させることは、幸福へとつながっていくと思う。
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人間らしい人間とは、人間にしかできないようなことをするような人であると思う。さらに、ほかの人がなしえなかった、その人にしかできないようなことをした人ではないか。
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非常に複雑な恋愛をすることや、家庭を守っていくことは、人間らしい営みなのだろうか。 そうなのかもしれないが、多くの人がそれをやっているのと同時に、ほかの種類の動物も、同じようなことをしているようにも思えないだろうか。
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株主優待は、株主を幸福にするために重要な役割を果たしていることも多いがそうでないことも多いため、注意する必要がある。
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我々にできることは、無意識的な部分はどうしようもないため、意識的な部分を何とかすることによって、幸福を追求することである。 それはどういうものであるべきなのだろうか。 資産については金曜下がったが、まだ含み益あり。長期的に上がって欲しいと思っている。
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人々は、テレビを見たり、運動をして汗を流したり、長生きするための努力をしたり、趣味に時間を使ったり、泣き寝入りしたり、今まで味わったことのない敗北感を味わったり、けがによる壮絶な痛みを感じ、未来への絶望を感じたりと、いろいろなことをして、いろいろなことを感じながら生きている。 きっとそれらが幸福に... 続きをみる
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いい感じに追い込まれると頑張ることがわかった。 必要に迫られると、脳みそが勝手に頑張ってくれるものだと、そう思った。 資産の方は芳しくない。だから報告したくない。
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幸福を追求するために時間を使うべきだが、幸福とは一体何か。 快楽が幸福なのだろうか。 答えはyesであると思う。 しかし、その快楽を得るのは、そう単純なことではないと思われる。
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不祥事で一気に株価が値下がりすることがある。こういう株は注目に値する場合がある。 その不祥事が、それほど本質的でなかったとしたら、値下がり後に大きく値上がりすることもあるからである。 不祥事は、悪いことでありながら、注目を集めるものでもあり、値下がりすれば、アクティブでなかった投資家が株を売ってし... 続きをみる
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要領良くできる人に尊敬の念を抱く。 私の周りにはそういう人が多くいるので、参考になる人が多くていいが、その中で完全に出来損ないの私、みたいな感じがして、萎える。 周りの人間の要領の良さ上位1%か、それ以上の人がほとんどなのでは?と思ってしまう。 私は要領の良さ上位50%に満たないと評価されて差し支... 続きをみる
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睡眠不足の時にキツイ運動をした。 朝にやってしまったら、一日中なんとなくだるい時間を過ごした。 しかし、そういうときを過ごす日があるのも、健康な体を作るために後々良い影響はあるかもしれない。 毎日だったら死にそうだが。 今日は、持ってるやつの決算だったので、その前に減らしておいた。結果、業績予想が... 続きをみる
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ドブに捨ててしまっても問題のないお金というのは1円もないが、無くなっても痛くもかゆくもないほどのお金というのはある。 実際、お金に特別関心を持っているのでなければ、うまいタイミングで財布の中から1000円札一枚が消えれば、気がつかないまま終わるだろう。 そんなお金があるのならば、そのようなお金は全... 続きをみる
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ほとんどの人間の人生は、なんとなく終わっていくといっていい。 自分の周りを見れば、自分よりもなにごとかをなしている人がたくさんいる。 逆をみれば、自分よりなにごともなさない人もいる。 自分よりもなにごとかをなしている人というのも、この世界で何事かを成し遂げたとは言えない。 本当に卓越して何事かを成... 続きをみる
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今キている方にもし全額やっていたら、今頃は相当な含み益である。 しかし、そういえば、割安の方は高配当株なので、すでに2万ほどてにはいることは確定しているから、それを思えば、それほど悪いものではないか。 それを考えても、やはりキている方にかけていた方が大きな儲けだったことは事実なので、どうしても考え... 続きをみる
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1年とすこしまえから株をはじめた。 現在ホールド中なのが90万円ぐらい。 現在までで-30万円ぐらい。 損失の大部分は、ある時期、一日に複数回取引するなどということをしたためであると思っている。 これからはそのようなことをせず、長期で持とうと思っている。 しかし、考え方は変わっていくこともあるだろ... 続きをみる
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とりあえずどんな感じになるのかやってみている。